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佐渡金山について
相川金銀山400年の歴史
相川金銀山は、1601年に山師3人により開山されたと伝えられています。
1603年には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造も行われ江戸幕府の財政を支えました。
1869(明治2)年に官営佐渡鉱山となり、西洋人技術者を招いて機械化・近代化が図られました。
1889(明治22)年には、宮内省御料局管轄の皇室財産となり、模範鉱山として日本産業の近代化に貢献しました。
その後1896(明治29)年に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として拡大発展を遂げました。
平成元年3月(1989年)残念ながら、資源枯渇のため操業を休止し、400年近くに及ぶ長い採掘の歴史の幕を閉じました。
日本最大の金銀山
相川金銀山の金鉱脈は、東西3,000m、南北600m、深さ800mに広がっていました。
この金脈を追い求めて、江戸から平成まで388年間に産出した金は78トン、銀2,330トンにのぼり、まさに日本最大の金銀山でした。
開削された坑道は、まるでアリの巣のように拡がり、総延長は何と約400km(佐渡~東京間)に達しています。
現地で感じる世界遺産「佐渡島(さど)の金山」
相川金銀山は16世紀末から19世紀半ばにかけて豊かな金鉱山の島である佐渡島において、徳川幕府の管理・運営の下、いわゆる鎖国政策によって海外との技術交流が限られる中、ヨーロッパとその影響下にある地域とは異なるシステムとして発展を遂げました。
世界に誇る質・量の金(世界生産量の10%、最高純度99.54%)を生産した伝統的手工業による大規模かつ250年以上に亘って長期継続した金生産システムを示す稀有な遺産です。
「史跡 佐渡金山」は現代に引き継がれた遺産を次世代に残すべく、その価値を世界に発信し続けます。